建物と文化

ここにも公共工事で培ってきた
高度な施工管理技術が生かされています。


大型掘立柱建物は東西 7間(約20.8m)南北4間(約11.9m)床面積は247m2。柱穴が一辺約1.6mの大きさ


左から、滋賀県文化財保護協会の中村さん、大さん、松井工業の河村監督。


述べ約2000人が発掘調査に当たりました。


新聞全紙で報道され、ご存じの方も多いのでは……

「聖武天皇の禾津頓宮跡」発見!!膳所城下町遺跡発掘。

2002年8月「聖武天皇の禾津頓宮跡」の発見!と新聞やテレビで大きく報道された滋賀県立膳所高等学校内の遺跡。今回の発掘調査は、県立膳所高等学校の改築に伴う事前調査で、前年夏に6箇所試掘された時から、膳所城下町に関連する遺跡、7世紀後半の土器や柱穴などの遺構があることは確認されていました。

そもそも頓宮とは天皇の行幸先の臨時宿泊施設。平安時代まで近畿地方を中心に数百か所作られた記録はあるものの、すぐに解体されたらしく実態はわかっていないようです。「続日本紀」によると、聖武天皇は740年10月末に平城京を出発。伊勢、美濃、近江などを行幸し、12月11日から3泊4日で禾津頓宮跡に滞在したと記されています。

さて、滋賀県下でも紫香楽宮、大津京にしかなかったような大きな柱跡の遺跡発掘調査補助労務作業請負業務を松井工業が請け負いました。当社としても初めての発掘調査のため、戸惑いや管理の面では通常の工事以上に神経を使いました。

現場を担当した河村次長は「自分としても初めての経験のため、当初は実際に作業をして、何が大変かを身を持って体験しました。とにかく夏の暑さ対策が大変。そこで作業員のみなさんには1時間に1度は休憩をとってもらうなど気持ち良く仕事ができるよう配慮しました。もちろん道具類も次の日の作業に支障のないよう点検も怠りなく」と。

傍らで教育委員会から発掘調査を委託されている滋賀県文化財保護協会の主任は次のように語ってくれました。「土木工事や建築工事は設計図があるので仕事の全貌がわかりますが、埋蔵文化財の発掘はそうはいきません。圃場などを発掘調査する場合は、近隣の顔見知りの方々に作業を依頼することが多く、みなさん気心も知っていてチームワークもできてます。でも今回の場合は作業員の方の年齢差もあり初対面の人ばかりです。その中で非常にうまく進めていただいたと感謝しています。

さすが高い施工管理技術を誇る松井工業だけあって、安全管理面でも細かいところに気を使っていただきました」1300年も時間を経て足跡を見せた「聖武天皇の禾津頓宮跡」。現代のように工事も機械化されていない人力のみが頼りの時代。それは発掘調査も同じこと。作業員の方が「掘っていて何かあるなあというのは、土の感触が教えてくれます」と語ってくれたのが印象的でした。

写真提供:滋賀県教育委員会